今回もゲームデザインの観点から少し考察してみようと思う。
不思議のダンジョンっぽいゲームを開発中の僕として気になった点は、新キャラクターでありシレンの師匠の「センセー」の存在。否、先生の特技らしい「二刀流」の部分。
武器を二本持つというのは、RPGでは古くからあるアイディアだけど、不思議のダンジョン系でそれが出てくる点がなんか斬新に思えた。もしかすると、僕が知らないだけで既にあったのかもしれなけど(アスカとかやってないのでわからない)。
不思議のダンジョンと見なすかは微妙かもしれないけど、この前発売された「バロック」では、そういや二刀流ができた。まあ、バロックはアクションだけど。
ゲームデザイン:
もし、二刀流が斬新なアイディアだとすると、ゲームデザインの観点からどう考察できるか。
ゲームデザインの観点から、というのは以前から書いているように、デザインという活動のひとつの側面は、選択肢から選択して決定するような活動という意味。
たとえば、RPGのゲームのデザインを考えると、「パーティの最大人数」という項目について何らかの決定を行わなければならない。選択肢となる人数は、1かもしれないし、6かもしれないし、100かもしれない。他にも「キャラクターの成長方法」という項目に関しては、たとえば、選択肢は、ドラクエのようにLVUP形式かもしれないし、ロマサガのように「戦闘形式」かもしない。
例から分かるように、ここでは2つの要素がある。
(1)選択の必要な項目。「パーティの最大人数」「キャラクターの成長方法」
(2)選択肢の集合。「1~6~100」「LVUP形式、戦闘形式」
とすると、あるゲームのデザインとその他のゲームのデザインの違いは、次の点で決まる。
(1)選択の必要な項目としてどんな項目があるとするのか。
(2)各項目には、どんな選択肢があるとするのか。
(3)各項目にからどんな選択肢を選ぶのか。
二刀流をゲームデザインの観点から考察:
さて、「二刀流」の話に戻ろう。「二刀流」の導入が斬新だとすると、上の話からどう解釈できるのか。可能性としては次の二つ。
(1)「二刀流」の導入は、新しい項目の追加である。
(2)「二刀流」の導入は、ある項目への新しい選択肢の追加である。
どちらにも解釈できるような気がする。
(1)の場合、「二刀流」ができるようにするか」という項目が新たに加わったと考えることができる。この場合、選択肢は「できる」、と「できない」の二つ。
(2)の場合、「キャラクターの装備可能な武器数はいくつか」という項目があるとすると、新たな選択肢として「2」が加わったことになると解釈できる。
まとめ:
まとまった結論はないのだけど、いくつか分かったことを書いてみる。特に、ゲームデザインを、この記事で書いたようにして議論することの利点について。
一つは、項目を明示的に考えることによって、新しいアイディアが出てきやすくなるんではないかという点。たとえば、、「キャラクターの装備可能な武器数はいくつか」という項目に関しては、従来は1か2の選択肢がほとんどだった。でも、それ以外の数字も考えられるとしたら、どうだろう。「三刀流」というのはどうだろう。某漫画のキャラは「三刀流」だけど、ゲームだと珍しいかもしれない。
二つ目は、知識の共有と再利用ができるんじゃないかという点。あるゲームのデザインをすべて小さな項目に分割するのは難しいかもしれないけど、そうやって項目として明示的にしておくと良いかもしれない。いくつかの項目については、標準的なものがあるだろうし、そのような項目をわざわざ思い出すような労力を省けるかもしれない。
"ゲームデザインの観点から" というのは、何回かここでの記事でも書いたように、デザインとは、選択肢から選択をし、決定する行為である、という意味。
モンハン制作に関わった人たちがどんな選択を行ったのかを簡単にまとめたい。
大きな決定はどうやら「プレイヤーに見せる情報を限界まで隠す」ということらしい。情報とは、体力やスタミナ、相手のモンスターの体力、与えたダメージ値の表示など。
モンハンの世界では、プレイヤーが見れるのは、体力とスタミナぐらいらしい。
モンハンシリーズディレクターの藤岡さんによると、もっと情報少なくしたかったらしい。
結果として、モンスターの体力を表示しない、というような決定が、ゲームに「緊張感」をもたらすこととなった。
考察:
考察する点としては、「どんな決定が行われたのか」という点と「その決定が、ゲームのどんな質に影響を与えたのか」という二点。
まず最初の点は、抽象的に言い表せば「プレイヤーに見せる情報は何か、見せない情報は何か」。これは各情報について「見せる」か「見せないか」の二択であると思う。
二点目は、「緊張感」という質。
以上の点は、デザインのプロセスを想像してみると、次のように表せると思う。
(1)情報を見せるのか見せないのか、といった基本的な戦略の決定。
(2)どんな「情報」があるのかという特定。情報とは、体力、スタミナ、敵の体力、プレイヤーの位置など。
(3)各情報について、「見せる」か「見せない」かの決定。
(4)各情報について、「見せる」か「見せない」かの決定によって、ゲームのどんな「質」に影響を与えるのかの評価・検証。質とは、緊張感、難易度など。
以上のことをふまえて、一般的なゲームの観点から考察:
ある情報を「見せる」か「見せない」かについては、ジャンルにもよると思うけど、いくつかの情報については、「見せる」か「見せない」かは常識(?)として決まっているように思う。
たとえば、RPGでは、キャラクターの「HP(体力)」は数値として「見せる」。数値として見せないRPGとして僕の記憶には「魔導物語」がったので、wikipedia で調べてみると、記憶はあってたようで、「ファジーパラメータシステム」と呼ばれているらしい。このシステムがどう評価されたのか、つまり、ゲームのどんな質にどんな影響を与えたのかは知らないけど、現在のRPGでは採用されることは少ないと思う。
ゲームデザインについての考察シリーズ。今回は、選択肢の管理について。
前回の記事で述べたのは、ゲームデザインも、工学におけるデザイン(設計)と同じように、その特徴の一つは、意思決定を伴う活動であるということだった。つまり、様々な選択肢の中から選択を行うということ。
たとえば、RPGであれば、「パーティの人数」という項目で考えられる選択肢は、「一人」、「二人」、「三人」、などなどがある。他にも、「キャラクターの成長」という項目を考えた場合、「LVUP」や「戦闘回数」といった基本的な代替案が考えられる。
項目(変数) |
選択肢(値の範囲) |
パーティの人数 | 1人~ |
キャラクターの成長 | LVUP、戦闘回数 |
このように、あらゆるゲームは、無数にある項目からある選択を行った決定の結果として存在すると考えられる。
ある項目は、ゲームデザイナーが意識してるかもしれないし、意識していないかもしれない。
今回も、具体的なゲームを題材として取り上げ、ゲームデザインについて考察したい。取り上げるのは、前回と同じくアトラス開発のDSソフトの「世界樹の迷宮」(amazon)である。
「世界樹の迷宮」では、「敵のHPはゲージで表示される」という決定が行われている(ラスボスも含むすべてがそうかどうかは未確認)。
さきほどのRPGの例のように、表で書くとこうなる。
項目 |
選択肢 |
HP表示 | する、しない |
もう少し細かく書くとこうなる。
項目 |
選択肢 |
HP表示 | する、しない |
HP表示方法 | 数値、ゲージ |
「世界樹の迷宮」の場合は、「HP表示」を「する」に、「HP表示方法」を「ゲージ」という決定が行われた。他の選択肢が選べば、異なるデザインになる。
僕は「世界樹の迷宮」のデザイナではないので、なぜ、「HP表示をする」という決定が行われたのかはわからない。ただし、プレイヤー側から、色々と推測をすることはできる。「HP表示」を「する」と「しない」の違いは何か。
僕自身は、HP表示はしないほうがよかったのがないかと思う。なぜなら、「緊張感」が減少するから。たとえば、初めてであった敵と戦うとき、「次の攻撃で倒せるかもしれないし、倒せないかもしれない。」といった不安を感じることがなくなる。
正確な人数は分からないけど、そういう「緊張感」を求めている人もいると思う。
一方で、「HP表示する」という決定は、恐らく、RPG初心者向けに対する配慮なんじゃないかと思う。
上級者は、緊張感がなくてつまらない、と感じるかもしれないし、初心者は、難しすぎてつまらない、と感じるかもしれない。
ビジネス的な配意から、「HP表示する」という決定が行われたということもわかる。
しかし、ここでの疑問は、初心者と上級者の両方の立場のユーザを満足させる決定はできなかったのか、という点。この問題に対する古典的な解決策は、難易度を明示的にユーザが決定できるようにすること。あるいは、オプションなどで、「敵HPの表示」を「オン」や「オフ」に切り替えられるようにすること。
ただし、この解の問題点の一つは、バランスを取るのが難しくなるかもしれない点かもしれない。
ここでは、例としてゲームのオプションとして、「敵HPの表示」を「オン」や「オフ」に切り替えられるようにするゲームデザイン上の決定が行われるとしよう。さきほどと同じように、表を書いてみる。
項目 |
選択肢 |
オプションで敵HP表示のオン・オフ切り替えをできるようにするか | する、しない |
敵HP表示 | する、しない |
敵HPの表示方法 | 数値、ゲージ |
可能な組み合わせ(デザイン)は次のようになる。
(1)「する」「---」「数値」
(2)「する」「---」「ゲージ」
(3)「しない」「する」「数値」
(4)「しない」「する」「ゲージ」
(5)「しない」「しない」「----」
(1)と(2)で、二番目の項目が「---」になっているのは、オプションで切り替え可能にした場合、もうすでに敵HP表示の可能性を含んでいるため。別の言い方をすれば、二番目の項目は、「オプションで切り替え可能にしない」場合を選んだ場合にのみ、選択が必要な項目。
オプションの項目を考慮したのとしない場合で、どんな違いが出るのかを見てみよう。
項目 |
選択肢 |
敵HP表示 | する、しない |
敵HP表示方法 | 数値、ゲージ |
この場合の組み合わせは、
(1)「する」「数値」
(2)「しない」「ゲージ」
(3)「しない」「---」
の三つとなる。
何が違いか? 数十分悩んだ結果、分かったのは次のこと。
オプションにより切り替え可能にするかどうかは、ユーザがゲームデザインできるデザインにするかどうかである。
まず、デザインという活動の前提から議論を開始しよう。
(1)デザインという活動は、選択肢から選択するという決定を行う活動である。
次に、ゲームデザイナの定義を仮にこうしよう。
(2)ゲームデザイナは、暗黙的・明示的に項目を設定し、選択肢を考慮し、ある決定を行う。
次に、もう一度、二つの表を考察しよう。
項目 |
選択肢 |
敵HP表示 | する、しない |
敵HP表示方法 | 数値、ゲージ |
この表の場合、「敵HP表示」や「敵HP表示方法」の選択肢からどれを選ぶかは、ゲームデザイナの考えにより決まる。
項目 |
選択肢 |
オプションで敵HP表示のオン・オフ切り替えをできるようにするか | する、しない |
敵HP表示 | する、しない |
敵HPの表示方法 | 数値、ゲージ |
一方、こちらの表の場合、二番目の項目、つまり、「敵HP表示」は、ゲームデザイナだけが決定する権限があるとは限らない。オプションという戦略は、ユーザがあらかじめ決められた項目に対し、デザイン上の決定を行えるようにする。
つまり、後者の表の場合、最初の項目の選択により、次のような二つの表が現れる。
項目 |
選択肢 |
実際の選択 |
選択者 |
オプションで敵HP表示のオン・オフ切り替えをできるようにするか | する、しない | する | ゲームデザイナ |
敵HP表示 | する、しない | --- | ユーザ |
敵HPの表示方法 | 数値、ゲージ | 未選択 | ゲームデザイナ |
項目 |
選択肢 |
実際の選択 |
選択者 |
オプションで敵HP表示のオン・オフ切り替えをできるようにするか | する、しない | しない | ゲームデザイナ |
敵HP表示 | する、しない | 未選択 | ゲームデザイナ |
敵HPの表示方法 | 数値、ゲージ | 未選択 | ゲームデザイナ |
このようにすることで、「オプション項目なし」の表は、「オプション可能にしない場合」の表と(ほとんど)同一であることが分かる。
まとめ:
(1)ゲームデザインという活動の一つの側面は、意思決定、つまり、
(1.1)決断が必要となるどのような項目があるのかを考え、
(1.2)各項目における選択肢は何があるのかを考え、
(1.3)ある項目におけるどの選択肢が適切なのかを決定することである。
(2)選択肢からの選択は、他の可能性を排除すること、つまり、そのゲームに適したユーザを制限することである。
(3)ゲームオプションなどの項目の考慮により、ゲームデザイナが行っていた決定をユーザが行えるようにできる。それにより、ユーザは、ある範囲においては自分に適したゲームをデザインできる権限を持つ。
「世界樹の迷宮」は、アトラスが開発した3DダンジョンRPG。基本的には、Wizみたいに、ダンジョンを探索することがメインの内容。
今回は、「世界樹の迷宮」の悪い点の一つである「ステータス画面などでキャラの切り替えがLやRのボタンでできない」という項目に焦点をあてて、ゲームデザインの観点から考察する。
目的は、実際のゲームのデザインを考察することであって、「世界樹の迷宮」自体の批判ではないことに注意していただきたい。
まず、ゲームデザインとは何かについて、軽く定義しておきたい。そのためには、デザインとは何かを考える必要がある。John Geroによれば、デザインという活動は、次の特徴を持っている[1]。
(1)ゴールがある(goal-oriented)
(2)制約がある(constrained)
(3)意思決定を行う(decision-making)
(4)探索を行う(exploration)
(5)学習を伴う(learning)
ここで、Geroは、デザインを変数の観点からモデル化した場合のことを述べている。まず、デザインは、満たすべき要求がある。また、設計者は、変数の値を選択する活動を行う。デザインは、コストや時間といったリソース的な制約だけでなく、様々な社会的な環境の基で行われる。そのため、どの変数を用いるのか、どんな値を用いるのかといった選択は制約がある。また、デザインは、どんな変数や値が適切なのかといった探索を伴い、探索は学習を必要とする。
次に、ゲームデザインとは何か。Wikipediaによれば:
ゲームデザイン(英: Game design )とは、ゲームの内容やルールのデザイン過程を指す。また、ゲームデザインの目的は次のように記述されている。
ゲームデザインの目的は、基本的にある制約条件下でゲームを作ることである。制約条件はデザイン対象のゲームによって異なる。以下のような制約がある。
・技術的制約
・製造上の制約
・想定される対象者に関する制約
・倫理的制約
・政治的制約
この記事では、Geroがあげた三番目の項目である意思決定、つまり、変数とその値の選択に焦点を当てて考えていきたい。
ゲームデザインを意思決定であると考えたとき、どんな決定があるのか。以前の記事でも少し考えてみたけど、もう一度いくつかの例を書いておく。
(1)ユーザに対してどのような機能を提供する/しないのかなどに関わる選択
(2)ゲームシステムのコア部分に関する選択
(3)ユーザーインタフェースに関する選択
(4)CDの読み込みなどの性能的な非機能なものに関する選択
しかし、ゲームデザインといった場合、機能を実現するソフトウェアの内部構造に関する選択、つまり、いわゆるソフトウェア設計(デザイン)は伴わないように思う。もちろん、両者は関係するため、無視してよいわけではないが、この記事では扱わない。
さて、これらのことを基に、本題に入ろうと思う。つまり「世界樹の迷宮」の悪い点の一つである「ステータス画面などでキャラの切り替えがLやRのボタンでできない」という項目に焦点をあてて、ゲームデザインの観点から考察する。
まず、一つの定量的な情報として、ゲームをプレイした人のどれくらいがこの欠点を挙げていたのかを調査してみた。調査対象としては、DSのゲームレビューを収集しているサイトの一つである「NintendoDS mk2 」に投稿された、119件のレビューとした。結果として、119のレビューのうち、38件(約32%)がこの欠点を明示的に挙げていた。このことからは、3人に一人は、この欠点に気づいたことになる。
前回の記事では、DSのFF3のプレイ感想を基に、以下の三点をゲームデザインに関わることとしてあげた。
(1)ゲームデザインにおけるアンチパターン:つまり、ゲームをデザインする上で、誤った選択が度々行われることがある。
(2)他の作品から学ぶ:つまり、他のゲームデザイナがどのような選択を行ったのかを観察し、評価し、活用する必要がある。
(3)基本原則:つまり、ある状況においては、選択するという選択がない項目がある。
この三点に照らし合わせながら、「ステータス画面などでキャラの切り替えがLやRのボタンでできない」という欠点を考察したい。
(1)ゲームデザインにおけるアンチパターン:この欠点は、アンチパターンか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。少なくとも、アンチパターンであるからには、誤った選択が度々行われる必要がある。一つの事例しか知らないのでそれ以上のことは言えない。言えるのは、少なくとも、プレイヤー側の観点から言えるのは、「L・Rで切り替えられない」というは、不適切選択であったということ。
(2)他の作品から学ぶ:この欠点は、過去のゲームから学んでいれば、避けられたのか? YESだと思う。少なくとも、僕の記憶では、SFCの「ロマサガ3」の時には「L・Rでキャラの切り替えができた」と思う。Wikipediaによれば「ロマサガ3」は1995年の発売。
(3)基本原則:「キャラの切り替えをワンステップでできるようにする」というのは基本原則か? 基本となる原則というには特殊すぎるかもしれない。ただし、破る理由が特にないのであれば、LやRボタン等で切り替えができるのは、抑えておかなければ成らない項目に思える。実際レビューで調査したように、三人に一人は、この基本を守っていないことを指摘している。
これら考察から、さらにいくつかを考察したい。
(1)この欠点に気づけたのか?:恐らくYES。データが示しているように、三人に一人は、欠点として挙げている。
(2)この欠点は避けられたのか?:恐らくYES。ただし、「世界樹の迷宮」の場合、LやRをキャラの切り替えに割り当てなかったのは、LやRをマップの階層を切り替えるために使用してしまったからともいえる。レビューでは、「階層の切り替え」ではなく「キャラの切り替え」にボタンを割り振るべきだった、という意見があった(定量的なデータは未収集)。
まとめ。
(1)意思決定としてのゲームデザイン:どんな選択を行うのか、という観点からゲームデザインを考えることができる。選択には、不適切な選択と適切な選択がある。
(2)不適切な選択:他のゲーム作品から学ぶことができ、プレイヤーの観点からしたら基本であり守って欲しい項目であっても、ゲームをデザイン時に不適切な選択が行われることがある。
(2)ゲームデザインのレビュー:テストプレイやレビューを通して、不適切な意思決定に気づことができ、そして修正できる可能性がある。
参考文献:
[1] Gero, J. S. (1990). Design prototypes: a knowledge representation schema for design, AI Magazine, 11(4): 26-36